人財の活用において人事が注意しなければいけない点は、「ジョブマッチング」や「タレントマネジメント」といった「科学的人事」を信頼しすぎることです。ビジネススクールや人事コンサル的な場で「科学的人事」なるものを学んだ方々は、仕事に必要なスキルと知識の可視化・明確化と個々人が持っているスキルと知識のマッチングが適材適所、公正な人事の基本にあるという考えを持ちがちです。でもスキルや知識が人を動かし、仕事を遂行する力の源になるかというと、それは短絡的な見方です。どのようなスキルや力を持っていようと、当事者意識、責任、仕事をなんとしてもやりぬきたいという気持ち・コミットメントを持っていないと、力を十分に発揮できません。我々は修羅場で、苦しい場面でなんとか仕事をこなそうと努力し、成長します。玉突き人事であろうと、晴天の霹靂人事であろうと、それに向き合い、懸命に仕事に取り組み、何とかしようとする、それが仕事のダイナミズムです。適材適所が仮に一時的に担保されたとしても、仕事はどんどん変化していきます。その変化に対応する心の強さが必要であり、重要ですが、「科学的人事」に志向する方々は、この心の問題を、測定できない、科学的でないといった理由から、むしろ向き合うことを避ける傾向があるのではないでしょうか。
そう考えると私たちにとって一番重要なのは、その仕事に必要なスキルに加えて、あるいはそれ以上に、当事者意識や働くマインドであると思います。そのマインドが我々に仕事を通しての成長を促します。ですので、私はジョブマッチングをベースとしたタレントマネジメントよりも、当事者意識と働く意欲を通したタレントディペロップメントを重視する立場をとっています。職務スキルや知識を通した適材適所という組織の視点によるマネジメントが重要であることに異論はありませんが、私は、むしろ一人ひとりの個人がタレントディペロップメントを自身で設計し、自分らしさ・ブランドを発揮し、自分の役割や居場所を作っていく努力の習慣化が重要という基本的立場をとります。たまたま今の仕事では適性があって力を発揮できていても、状況は刻々と変化し、持っている力の対応力を失うことが日常的に起こっています。私たちには実に多様な力があり、発揮できている力もあれば、発揮できていない力もあります。私たちはあるひとつの仕事をするためのスキルや知識を持っているだけではありません。私たちの持っている多様な力の棚卸をし、自分にどのような力や可能性があるかを見直すことはとても大事だと思います。そしてそのような活動を支援する役割がキャリアアドバイザーということになるでしょう。
自分が持っている力の中には新しい場所でも使えるものが必ずあるはずです。それを発見し、発揮することが我々のチャンスや可能性を拡げます。私はそれを、「人的資産と人的資源の組み替え作業」と呼んでいます。資産というのは今ここで発揮している力のことであり、資源は今ここでは発揮していないけれど、自分の能力の中で磨けば発揮できるものです。私たちはごく限られた資産とたくさんの資源を持っています。今発揮している資産の中で重要なものは更に拡大して発揮し、資源の中で資産に変えうるものは意図的に資産に変える。同時に、今後あまり必要でない資産があれば、逆に塩漬けにしていく。そういった資産と資源のダイナミックな組み替えをしながら学習を続けることが求められる時代に、私たちは生きているのだと思います。
育児休職でも介護休職でも、法律的には休職期間中に仕事の話をしたり、仕事の情報を与えることはいけないことになっています。それでは休職にならないから。でもまた戻ってくるということを前提にするなら、何も伝えてはいけないとは思いません。会社で今何が起こっているのか、これから先会社はどのように変わろうとしているのか、そのために必要な能力やスキルはどんなものなのかといったような情報はむしろ積極的に提供するべきです。そのような視点を持つことは、育児や介護で休職中の人にとってとても重要です。介護という選択をした人が、その経験を活かして組織に戻った後、ポジティブに行動できる支援や情報提供を行うことができるかどうか。そして、個人個人が自分の可能性を少しでも拡げる努力をし続けるという意識を持つことが重要だと思います。
グローバルスタンダードの波の中では、今ここで最も効果的、効率的な仕事をしてもらうことに焦点を当てる人事が主流になってきていますが、それだけではこれから先回らなくなると思います。そういった科学的人事に偏ると、その人の当事者意識や責任、前向きな気持ちがあって力が発揮できるんだという当たり前の前提を忘れて、スキルや知識ですべて回ると考えがちになってしまいます。当事者意識や前向きな気持ちというのは、測定しにくく対処しにくい領域なので、科学的人事からはむしろ排除されてしまいがちです。人事の仕組みを回すときには、そういった効率指向の考え方も必要かもしれないけれど、大切なのはそのバランスだと考えます。
人事が個人の我が儘に付き合っていてどうするんだという考えもあります。個人の我が儘は、その人の特殊な要望であり、標準からは外れるので対応できないと。でも一人ひとりのライフスタイルに基づいて個に寄り添うということは、あえて言えば、一人ひとりの我が儘に向き合うということでもあるんですね。標準から見たら我が儘かもしれないけれど、その人の置かれた立場から見たらひとつの視点であり考え方であるかもしれない。一旦受け入れてみて、それでもやはりおかしいということになれば、他のライフスタイルを歩むことも可能だと示してあげるべきだと思います。最初から否定するべきではないのです。そこで必要となってくる人事の方針は合理的配慮であると思います。
私は障がい者雇用に関して、多様性という視点から問題を捉えるようにしています。いわゆる障がい者の方々は、「障害」を持っている方々ではありません。私は障がいに向き合う特性を持っている方々と考えています。一見、障害と思えるものは、実は個人が持つものではなく、特性のひとつにすぎず、障害は組織がもつものです。多様性という視点からいうと、我々は本当に色々な特性を持っています。多様な特性を持たれた方々が普通に仕事をしていこうとする中で、その方が力を発揮するのに障害となっているのは組織のインフラや仕組みなのです。だとするなら、その障害となっている組織要因に対して、多様な特性を持っておられる方々への「合理的配慮」に基づき、組織の障害を改善していくことが重要という立場をとっています。
一見我が儘に見えるものであっても、それは多様な特性を持たれた方々が合理的配慮を組織に求めるリクエストであるのかもしれません。そのような視点に人事はもっと謙虚になるべきであり、それが多様性・ダイバーシティへの重要な向き合い方になると考えています。
従業員の介護の問題に対して、組織として人事は一人ひとりのライフキャリアデザインの視点から、しっかり向き合わなければならないということをお話ししてきました。介護というのは、長い人生の中ではある意味、一過性の問題であってその時期をどうやって乗り切るのかというのが基本的な考え方ですが、多くの人にとって介護は初めての経験です。それが未来永劫続くように感じられることもあるだろうし、これで自分のライフキャリアが終わったと感じることもあるでしょう。そんな人に対して、いろんな考え方や視点があるんだということを伝えてあげて、前向きになれるような方法で支援していくということが大事だと思います。
介護に向き合うということも、やはりダイバーシティの中の特性のひとつです。また職場に戻ってくる可能性を念頭において、それではその特性に対して、組織として障害となっているものをどのように除去するかという合理的配慮を検討することが人事の責任であるし、また見識であるとも考えます。これからの生涯現役の時代、私たちは72、あるいは75まで働くことが日常化します。雇用が60や65で終わることはありません。だとするなら、人生のある時期、介護をするという特性を持たれた方々に対して、一人ひとりの方々に対する合理的配慮では何ができるかという対応を人事はこころがけ、介護からまた組織生活にもどり、さらに長いライフキャリアを有意義に過ごすことのできる可能性やチャンスを一人ひとりの従業員の方々に提供することが人事としては重要なのではないでしょうか。
今の介護に対する社会の対応や組織の対応からすると、個人としても、介護の問題を抱えたとき、働くのはもうこれで終わり、潮時だと感じてしまうことがあるかもしれません。介護があるにしろ、ないにしろ、今までやってきた仕事をこれからも同じようにやり続けられれば楽ですが、それは残念ながら無理です。企業にぶらさがっていられる時代ではないのですから。介護休職からもどってきても、前と同じように仕事をすることは難しいと思います。今は変化の激しい時代、一人ひとりの従業員が自分自身のタレントディペロップメントに当事者意識を持って、自分の責任で、生涯現役の道を歩むための努力、能力開発をしなければならない時代であると思います。それは苦しいことではあるけれども、楽しんでやれるような仕組みを組織としても考えていくことに人事はもっとエネルギーをかけることが必要であると思います。従業員は多様な特性を持った方々から構成されています。組織のマジョリティとはそのような特性をもたれた方々であり、一人ひとりが前向きに生きるための能力開発を支援することとは、多様な特性を持ったマジョリティである従業員の普通のライフスタイルに向き合うという当たり前のことなのではないでしょうか。
将来的には、企業内保育があるように、デイセンターのような施設を併設した企業ができるのかもしれませんね。ご両親と一緒に出勤して、働いている時間はそこで時間を過ごしてもらうというような介護付き企業があってもいいでしょう。大量のシニアの人たちに働いてもらいたいという状況であるなら、その人たちの負担を軽減するような組織の対応として、様々な合理的配慮を行うことは、見識ある組織・人事としてはむしろ当然のことだと思います。
慶應義塾大学名誉教授。
慶応義塾大学文学部心理学科卒業後、南カリフォルニア大学大学院で社会学博士号を取得。産能大学経営情報学部教授、同大学国際経営研究所所長を経て、1991年より慶應義塾大学総合政策学部教授。1999年より同大学SFC研究所のキャリア・リソース・ラボ代表を務める。企業組織、人事・教育・キャリア問題研究の第一人者。