これから先、年金の受給者と年金を支払う人の人口バランスが問題になってきます。当然のことながら、年金は自分が支払ったものをどこかに貯めておいて、必要になったときにそれをいつでも戻してもらえるという仕組みではありません。単年度における、年金の支払い者がどれだけいて、受給者がどれだけいるのかというバランスで年金は回っているわけです。そこで何人で1人の受給者を支えるのが適切なバランスなのかと考え、色々な比率が話題となっています。3人ぐらいで1人を支えるのが安定したバランスという考えがあったり、2.5人に1人でも税金などを調整することによりなんとかなるのではという考えもあったりします。ところが、2人で1人を支えるということになると大変厳しいし、2人を切る状態では、現状の年金の仕組みでは対応困難であることは間違いありません。単純に考えても分かりますね。毎月15万円受給する人がいたとして、7.5万以上支払う人がいないと成立しない仕組みは実現不可能な世界です。受給する人が増え続けて支払う人が減り続ければ、構造上とんでもないような状況になってくるわけです。
内閣府のデータによると、2055年には高齢化率(65歳以上人口)が40.5%、それに対して、生産年齢人口(15〜64歳人口)は51.1%になるとされています。これは衝撃的な数字ですね。この先、1人の年金を何人で支えるのかということを見ると、2020年で約2.0人、2025年では1.9人になります。2025年というのは完全65歳定年制が法律で義務化されるという点で大きな意味を持つ年です。今は希望があれば65歳まで雇用延長できるという制度ですが、2025年には65歳定年がマストになります。しかし現実には、65歳から70、あるいは72といった年齢まで雇用が延長されるというケースも多くなるだろうと思います。
もう少し先の将来、2030年には1.7人で1人を支えるという計算になります。これでは到底回りません。税金を上げても限界がある。ではどうするかというと、受給者を減らし、年金を支払う人を増やすしかない。だからといって一足飛びに年金の受給開始を75歳にするというのは無理があります。2030年から2050年ころまでに時間をかけて、徐々にこの受給者と支払う人のバランスを変えていくことになると考えます。雇用の延長が70歳から次第に伸びていき、2030年以降いつ雇用の延長が75歳になっても不思議でない世界が現実になると思われます。
そう考えると、介護というのは決してキャリアの終末期の問題ではないということが分かると思います。50歳ぐらいから介護の問題は始まります。国は在宅介護を奨励していますが、在宅介護はそんなに簡単なものではありません。働き手である家族の負担も大変ですし、国にとっても働き手が必要な時代です。したがって、在宅介護には限界があるというのが私の考えです。要介護4、要介護5といった状況になってきたときには、従来以上のきめの細かい在宅支援や外部施設で、サポートを受けることが必要になってきます。仮に在宅介護であったとしても、これからはきめの細かい在宅介護の支援をベースに、短時間勤務も可能な状況になるでしょうから、それもある一定の時期を想定しての話に過ぎなくなると思います。在宅介護の時期が過ぎれば、再び働くというライフスタイルが一般的になるでしょうし、65歳からの働き方も多様な働き方を選択できる時代になることが想定されます。そのような長いライフキャリアの中で、どのように介護というものを捉えるのか、個人個人が自分の置かれた状況と会社の中での役割において考えることになるのだと思います。
組織としても介護を個人の問題として責任を負わせるのではなく、また戻ってきて仕事をしてもらうことを前提とすれば、介護期間中の支援、そして戻ってきたときのソフトランディングということについて考えることが組織の責任として重要になってきます。育児休暇を取った方が出産を終えて育児をしながら段階的に職場復帰するときと同様に、介護のある一定の段階を過ぎて、在宅であるとないとにかかわらず、介護の多様なサポートを受けている間には、フレックス・時短勤務という形で職場に戻ってもらい、さらにその期間が終われば再びしっかり仕事をしてもらうといった、長いライフキャリアを前提にした対応が求められる時代になると考えます。ですから介護があるから辞めて終わりというライフスタイルでは決してないのです。
介護という問題に対して人事担当者は短期的な成果主義・結果主義といった経営的な視点で対応するのではなく、自分が介護をする立場に立ったら、どのようなその後のライフスタイルを送りたいかという当事者意識を持たなければならないと思います。そこでポイントとなるのは、管理するとか状態をチェックするといった、上からの目線で問題を処理するのではなく、その人が自分のライフキャリアの設計を、合理的な組織からの支援を前提として自分の責任においてできるような仕組みを作ることです。合理的支援という言葉は、障がいという特性をもたれた方々への支援という視点で語られていますが、このダイバーシティ時代、一人ひとりのライフスタイルとニーズを理解した上で合理的な支援を行うという視点を、人事には持ってもらいたいですね。
そんなことは綺麗事であって、あまりに理想的すぎると言われるかもしれません。でも私は、理想を追求しないでどうするんだと言いたい。自分たちがこういう方向でやりたいんだというビジョンを持って、そのビジョンに向けて日常の行動を実践していくことが大事であり、ビジョンを持たずに最初から手法的にコスト管理の視点だけで対応するのは間違いだと考えます。それが私からの問題提起です。
どれほど利益に繋がるとか、営業的に売り上げが伸びるとか、従来型の経営指標をベースにそれを探しても無駄だと思います。私は新しい時代に即した経営指標の構築が必要であると考えます。例えば、お互いが助け合い信頼しあう風土、短期的な結果をベースとしない評価の制度、きめの細かすぎる評価ときめの細かすぎる報酬の連動の克服などは、従来型の経営指標から新時代の組織の経営指標として注目されています。むしろ、このような指標が組織へのコミットメントとイノベーションを促す要因となるとの一連の考え方が登場し、マイケル・ポーター型の競争優位のMBAタイプの考え方とは異なるアプローチが登場してきています。企業としてのメリットは、このような新しい指標を念頭に置いて考えるべきだと思います。
そして、人事において新たな役割が必要となってくると思います。モチベーションを管理するというアプローチから一人ひとりの従業員のモチベーションを開発するアプローチ。長いライフキャリアにおいてのキャリア・生活相談を求められた時にはその相談に乗らなければいけないという体制づくりです。実はそれらの対応は職業能力開発促進法という法律の改正により、個別企業の責任として新たに対応が求められているものです。もし、人事がそれに対応できないとするなら、人事に代わって、キャリアコンサルタントやキャリアアドバイザーが対応するようになると考えます。長い目で見たときに、従業員の信頼を得るのはライフキャリアをサポートしてくれるスタッフであり、結果としてそれが人事の本流になると思います。
私は、戦略人事と人事戦略は違うという考えを持っています。そして今の人事の問題は、戦略人事に重点を置きすぎているという点にあると思います。戦略人事というのは、環境の変化や経営の方向性に応じて、それに必要な制度や仕組みを考えるというものです。作った枠組み制度がどのように運用されて、一人ひとりの従業員がそれに対してどのような気持ちを持つかということにはあまり関与しません。では人事戦略は何かというと、作った制度と運用をどのように統合するのかということであり、そこが重要なポイントです。即ち徹底的に現場に立つということなのです。ところがその人事戦略が短期的な視点で対応されすぎてしまっているのが問題なのです。もう少し中長期的な視点で、個人の成長、個人間の信頼、相互の支援や啓発・助け合いなどの人事制度とその運用のメカニズムを現場視点で構築していくことが必要不可欠であると考えています。
そういった人事戦略の視点を軽視する傾向が今の人事にはあるように思います。このまま行くと、どこかで必ず揺り戻しが来ます。特に若い人事担当者にメッセージとして伝えたいのは、戦略人事の方が恰好いいかもしれないけれど、それはプロダクトアウトに過ぎないということです。また経営人事の視点からは、短期的な人事戦略の自薦が求められているのかもしれません。現場の一人ひとりの従業員が求めているのは、中長期的な視点で人事戦略を新たに構築し、新しい風土や信頼関係、一人ひとりの自律やダイバーシティの支援を実践するというアプローチではないでしょうか。
慶應義塾大学名誉教授。
慶応義塾大学文学部心理学科卒業後、南カリフォルニア大学大学院で社会学博士号を取得。産能大学経営情報学部教授、同大学国際経営研究所所長を経て、1991年より慶應義塾大学総合政策学部教授。1999年より同大学SFC研究所のキャリア・リソース・ラボ代表を務める。企業組織、人事・教育・キャリア問題研究の第一人者。